【今更ながら・・・】自己紹介&IMPROVEを作ったきっかけ【書いてみた】
みなさんこんにちは!穴る彫り師ほりほRIHOです。
今回は今更ながら自己紹介をしていこうと思います。
私は約10年ほどM性感店に勤務し、のべ1万5000人以上のお客様と接して来ました。M性感店ではいろんな制限があり出来ないことがいっぱいありました。
そこで私は自分のやりたかった事をするために独立して9月1日にIMPROVEという開発専門のお店をオープンしました。
第一部 絶頂革命
私がドライオーガズムに出会ったのは忘れもしない10年前です。私は初めてM性感店に勤務した時にドライオーガズムという言葉を知りました。
そこで私は
- ドライオーガズムってなんなんやろう?
- どこをどうやったらそうなるんかな?
- どういう原理でそうなってるん?
- どうなったらドライオーガズムになったと言えるん?
などの悩みがどんどんあふれてきました。
初めて務めたM性感店には4年ほど務めましたがドライオーガズムについてお店の専属の講師の方にあれこれ聞くと「そんなことより接客を勉強しなさい」「もっと色恋しなさい」などしつこく聞くとめんどくさいやつみたいな感じで講師の方だけでなく誰も何も教えてくれる人はいませんでした。
感覚でわかるやん、な?(圧)みたいな雰囲気があり、お店の方針や当時の接客技術もまだまだ未熟であった為に私もその時はそれ以上は知ろうともしませんでした。
第二部 無知の知
次に働いたお店ではどちらかというといろんな技術に対応できるバラエティー豊かな女性が多く在籍しているお店でした。
そのお店ではドライオーガズムが得意でナンバーワンではなかったのですが、店の最高ランクになっている女性に憧れて入店しました。
しかし、その女性も自分が勉強した技術をそう簡単にどこの馬の骨かもわからない女に教える訳がありませんよね。
しばらくは見よう見まねでやったりしていて、ある時にダメ元で聞いてみたら教えてくれました。
その時に教えて頂いだいた技術は後から知ることになるのですが、ドライには絶対にならない技術でした。
しばらくはその技を練習しようとたくさんのお客様にしていたので、お客様はコイツ何してんねんってなってたんだろうと思います。
勉強していなかったら、今もその技をドヤ顔でやってるんだと思います。
原理も知らずにただ言われたからやってただけの無知の恐ろしさとはこういうことなんです。
やってる本人は絶対にいいと思っていて、まさか間違っているなんて思わないし、されてる方は不信感でしかないですよね。
今考えるとめっちゃ怖いことしてたな~と思います。
第三部 二人の師匠との邂逅
そこから数年たって別の店に移籍することになるのですが、そこで出会った女性の技術や感性に触れて私の開発に対する思いがさらに強くなって行ったのを今でもハッキリ覚えています。そしてその女性こそが私の後の西の師匠になる知る人ぞ知るレオさんです。
移籍して数日たった頃、レオさんが「穴るのスペシャリストにみんなで逢いに行くからRIHOちゃんも一緒に来ーへん?」って誘ってくれました。そしてそこで出会うあきら先生こそが後の東の師匠です。
私があきら先生と会ったのはそれが初めてでした。あきら先生と初めて会うとき、数人のキャストからあきら先生が怖い怖いといううわさを絶えず聞いていたので、ものすごく身構えていました。しかし実際に会うとものすごく親切で私は怖いとは思いませんでした。そしてそれと同時にあきら先生がなぜ怖い怖いなどのうわさがあるのか私には分かった気がしました。あきら先生のドライオーガズムに対する真摯な態度がそのうわさを生み出しているのだとその時、私は感じ、私もこんな風になりたいと思いました。
2人の師匠には穴る開発以外のことも含めていろいろ教えていただきました。
第四部 技術の研鑽
ひとつのことが出来るようになるまではその技術で成功することだけに力を注いでいこうと思っていましたが、いろんなお客様に出会う度に根本から全く違うお客様にもたくさん出会うようになってきました。
例えば
- 姿勢の悪いお客様
- 泌尿器の疾患を持ったお客様
- 全ての感度が悪くなる要因しかないお客様
などなど
そんなお客様をドライオーガズムまで導くことができずに「僕はドライオーガズムしにくい体だから仕方ないよ」って残念そうに帰っていくその背中を私は幾度となく指をくわえて見届けることしかできませんでした。
それがまた悔しくて悔しくて、もっとドライオーガズムや他のアプローチの方法、感度を上げる勉強がしたい!!!!!って思うようになりました。
しかし、追い打ちをかけるように私の身に災難が降りかかってくるのです。
第五部 パンデミック襲来
2019年の年末、繁忙期であるはずの12月あたりからコロナの第1波がやってくるんです。
これには業界全体がかなりの大打撃を受けました。
当時の大阪は緊急事態宣言中ほんとに誰も外に出てなくて、いつもなら物凄い人がいて百貨店前の横断歩道は真っ黒状態なのに、その時は「あれ?今ってお正月やっけ?」みたいにほんまに人っ子1人立ってないし、繁華街は辺り一面真っ暗で、そりゃ電話も鳴らんわって感じでした。
お客様も全然来店せず、だんだんとお店の雰囲気がピリピリしだし、女の子のちょっとあかんとこみたいなんが数人の女の子に出ちゃってて、空気も悪いし、待機室に居にくい状態でした。
その時は緊急事態宣言で真冬にどっこもあいてないから外でウロウロ徘徊待機してました。
何日か本指名様1人だけとか周りも1人も接客せずに帰ることがありましたね。
そんなこんなである時、寒い真夜中に1人でウロウロ徘徊してこんなに時間がある中でお仕事もしてない状態って時間無駄すぎ!って思ったんです。
そこからその日に今月で辞めますって店長に言いに行きました。
こんなベンチウォーマーみたいな時間を何日も過ごすくらいならお給料無くてもいいからもっとマニアックな店で穴るの事をもっと深く勉強した方がええやん!って思いました。
お店を辞める事にしたんですが、それから数日たったある日、レオさんとちょうど出勤時間が被る日に「辞めるって聞いたけど〜!!せっかくここまで頑張って来たのに辞めるくらいならウチが教えるからもうちょっとここで頑張り〜」って言ってくれたんです。
これがもう一度一からやり直すきっかけになりました。
第六部 叡智(H)の発信
ドライオーガズムについてはやっぱりいろんな人がいろんなこと書いてて、施術する方もセルフでやってみたい方も受け手さん側も何がほんまかわからん状態でみんながふわふわした中でやってるなって思ってたんです。
射精の100倍やら意識ぶっ飛ぶやら、女性のようにイキまくるとか、女性でもイケない人の方が多いのに人によって感受性は違うと思いますが、ぶっ飛ぶ??それなんか違うやつやってますよね?ってなりませんか?
少なくとも私はなってました。
この頃、M性感歴が大分長くなってきてドライオーガズムについての知識はある程度ついてきていたので誰にドライオーガズムについて聞かれてもちゃんと答えれるようにしておこうと思って、知ってることを言語化して某都市天国サイトでシリーズ化していくことにしました。
まだその時は人に説明出来るほど語彙力が無かったので、これをどう書いたらどう伝わるのかとか自分でもなんでこうなるの?とか初心にかえり新人の時に知りたかったことをまとめていきました。
その頃にはもう開発専門のキャストとして在籍していたので、痴女プレイはしなくなって行ったのですが、お店のコンセプトと自分のやってる事が違ったので「あなたはお店からはお客様に紹介出来ない」と言われていました。
お店からお客様を紹介してもらうことがほとんどなくなったことで、かえって私はいい機会だと思って自分で直接お客様に営業して来て貰えるようにプレゼンなどをすることでお店に来ていただいてました。
その中で開発専門でやっていたので津々浦々いろんな所からお客様が来てくださるので、いろんな悩みを持ったお客様がいて、勉強にしても実技にしてもまだまだ先がある事に気付きました。
第七部 崩れゆく日常
開発専門でやっていることもお客様が認知してくださり、いろいろな状況が変わってとてもいい雰囲気になってきた頃、事態は一変、のばしのばしにしていた持病の治療が災いし入院生活を強いられることになるんです。
そこから今までできていた1日5人6人と接客も出来なくなってしまい退店しました。
その次の月もご予約をいただいていたのですが、全て一身上の都合でお断りすることになりました。
退店して1ヶ月ほどは自分のスキルを見直したり少しゆっくりしようと考えていました。
最終部 新たなる始まり
もうお店の在籍も残っていないのにたくさんのお客様が「どこかでまたして欲しい!」とメッセージをくれたのがとても嬉しかったです。
この時のお客様には今でも感謝しています。
こそこそと個人的に開発施術をするのもいいかもしれないんですけど、取るべき許可を取って堂々と施術をしたかったんですよ。なので開発専門でお店を作って、もっといろんなお客様と向き合って技術の質を深めたいと思いました。
そこで独立してお店を開こうと決意しました。
IMPROVEを作ったことでお店で働いていた頃より、おひとり様お一人様に使える時間も増えましたし何よりも疲労が溜まった状態で何人も施術したって本当の開発じゃないと思うんです。
疲労が溜まってくると真剣に施術をしていても、注意散漫になり出来るはずの事が出来なくなったり、筋肉が疲労して腕が上がらへんなってるな〜とかそういうことはお客様が増えるたびに感じていました。
もっと良くなって欲しいという気持ちはずっとありましたが、対応するお客様が多すぎると追いつかないというのがこれまでの現状でした。
そんな状態でも、お客様からは「また開発して欲しい」とリクエストを頂き、今度はもっと特化してもっとその人に合った施術をして、その人にもっと良くなってもらおうと思って作ったのがIMPROVEです。
まだまだ未熟なのは自分自身でも実感していて、お客様を通して勉強させていただくきっかけをいただいております。
天井を一度作ってしまうとそこで終わってしまうので、私は天井を作らず常に技術の向上を目指しています。お客様が興味を持ってお店に来て下さる限り、私のこれからの課題は無くなることはないと考えています。
これからも、もっと多くのお客様を開発していきたいと思います。
ではまた。